チャタム工廠

About チャタム工廠

チャタム工廠(-こうしょう)はイギリスのケント州にあるメドウェイ川に面した造船所で、敷地の2 /3がジリンガムに、残り1 /3がチャタムに含まれている。宗教改革後のカトリック諸国との関係が悪化していた時期に創設された。チャタム工廠は414年間に500隻以上の軍艦をイギリス海軍に供給し、造船、建築産業の最前線と言える存在で、最盛期には10, 000人を超える熟練工が働いており、敷地は400エーカーにわたった。工廠は1984年に閉鎖されたが、現在ではジョージ朝期のドックヤードなど84エーカーが海事博物館として一般に公開されている。歴史16世紀前半、イギリス軍艦の補修は主にデットフォード工廠が担っていた。それを裏付ける1544年の支出を記した書類が残っているが、この状況はすぐに変化する。1547年になると、ジリンガム水域つまりチャタム工廠はデットフォードに次ぐ重要な造船所だと考えられていた。なお3位以下にはウリッジ、ポーツマス、ハリッジなどが並んでいる。この重要性のため1550年にポーツマス港に停泊しているすべての艦艇を「優れた戦略的位置にある」ジリンガム水域に移動させる命令が出された。1567年、エリザベス1世はチャタムを「王立造船所」とし、その後1573年には工廠を訪問している。17世紀の半ばまでにチャタム工廠は海軍最大の修繕基地となり、英蘭戦争の間大いに活用された。しかし、イギリスがフランスと戦争をするようになると状況が変わる。主戦場が英仏海峡や大西洋になったことでポーツマスやプリマスといった港の方が利便性が高くなったのだ。加えてメドウェイ川は堆積によって水深が減り、航行が難しくなっていた。そのためチャタムは修繕に替わって建艦を中心とするようになる。1622年にはドックを若干北側の現在の位置に移動したが、戦列艦ヴィクトリーとフリゲートユニコーンなどの現在でも保存されている帆装軍艦はそこで建造された。

チャタム工廠 Description

チャタム工廠(-こうしょう)はイギリスのケント州にあるメドウェイ川に面した造船所で、敷地の2 /3がジリンガムに、残り1 /3がチャタムに含まれている。宗教改革後のカトリック諸国との関係が悪化していた時期に創設された。チャタム工廠は414年間に500隻以上の軍艦をイギリス海軍に供給し、造船、建築産業の最前線と言える存在で、最盛期には10, 000人を超える熟練工が働いており、敷地は400エーカーにわたった。工廠は1984年に閉鎖されたが、現在ではジョージ朝期のドックヤードなど84エーカーが海事博物館として一般に公開されている。歴史16世紀前半、イギリス軍艦の補修は主にデットフォード工廠が担っていた。それを裏付ける1544年の支出を記した書類が残っているが、この状況はすぐに変化する。1547年になると、ジリンガム水域つまりチャタム工廠はデットフォードに次ぐ重要な造船所だと考えられていた。なお3位以下にはウリッジ、ポーツマス、ハリッジなどが並んでいる。この重要性のため1550年にポーツマス港に停泊しているすべての艦艇を「優れた戦略的位置にある」ジリンガム水域に移動させる命令が出された。1567年、エリザベス1世はチャタムを「王立造船所」とし、その後1573年には工廠を訪問している。17世紀の半ばまでにチャタム工廠は海軍最大の修繕基地となり、英蘭戦争の間大いに活用された。しかし、イギリスがフランスと戦争をするようになると状況が変わる。主戦場が英仏海峡や大西洋になったことでポーツマスやプリマスといった港の方が利便性が高くなったのだ。加えてメドウェイ川は堆積によって水深が減り、航行が難しくなっていた。そのためチャタムは修繕に替わって建艦を中心とするようになる。1622年にはドックを若干北側の現在の位置に移動したが、戦列艦ヴィクトリーとフリゲートユニコーンなどの現在でも保存されている帆装軍艦はそこで建造された。